bussorenre Laboratory

hoge piyo foo bar

それで私は何を成し遂げたいのだろう?

今日、親戚のお通夜があった。普段通り烏丸でプログラムを書いていた私は、とんぼ返りして喪服に着替え、再び京都に訪れた。

私は幸せなことに、祖父母四人、両親ともにすこぶる元気で、物心ついてから近い親戚を失うという経験をしたことがない。もし自分の祖父母が亡くなったら(なくなる気配はまだまだ無さそうだけどw)、私はその葬儀の時に何を思うのだろう。そんな事を考えながら臨んでた。

失われていく命のすぐそばで、生まれたばかりの命があった。生後三ヶ月のいとこ夫婦のこども。大変行儀の良い子で、葬儀の最中はほとんど泣き喚くことがなかった。こどもをあやす二人を見て、なんだか本当に不思議な気持ちになった。




私は、家族の中では長男だけど、親戚の中ではかなり年齢が幼いほうだ。今日のお通夜も、あかちゃん覗いてぶっちぎりの最年少である。もう20歳なのに。自分がまだまだ幼く見える。そんな自分にコンプレックスを抱く。周囲の大人は、社会の中で働いて、子供を産んで、自立しているのに、いったい私は何をしているのだろう。と



いきなり話が、私が2歳の時にまで遡るのだけど、

私が物心ついた時の最初の記憶は、弟が生まれた日である。なんでだったかは覚えていないけど、その日はとても歩くのがしんどくて、父親に「もう疲れたーしんどいー」みたいな事を行っていたように記憶している。実際は、ちょっと発達が遅くて、まともな言語を発せなかったのだけど。それで、すごく親父に怒られた。「お兄ちゃんになるんやから、しっかりせいや!」みたいな意味で怒られていたんだと記憶している。


弟はかなりやんちゃで、ほうっておいたら何するかわからないし危なっかしいし社交性ゼロだったって事もあったり、「もしおとんやおかんに何かあったら、兄貴の俺が、しっかりせなあかんねんなー。」みたいな意識が、幼稚園に入るときにはもう確立していたと思う。(そう、当時見てたとなりのトトロにかなり影響されてる。)

私が小学生になって、小1の後半~小3くらいまで、私はクラスで結構イジメられていたのだけど、それに耐えてた理由の一つに、「お兄ちゃんやからしっかりせな」みたいな意識もあったと思う。なんせ私は体が弱く、乱視気味だったので、球技にトコトン弱く、わかりやすい運動できないいじめられっ子タイプだったから、それ以外のところでは絶対にしっかりせなあかん って思ってた。

私が小3になって、弟が小学生になる時、母親から「なんかあったら弟のこと頼むわー」って頼まれてた。私へのいじめが加速してて、正直逃げ場がなかった私は、すごい弟のことが羨ましかった。「俺が小学校に入ったときは、誰も守ってくれる人なんかおらんかってんぞ」って、たぶん初めて親にキレた。初めて弟をイジメたし、初めて弟と大げんかした。そんな自分がものすごく嫌で、その時初めて、自殺 という二文字が脳裏をよぎり出してた。初めて包丁と向きあったし、飛び降り未遂的なこともした。



色々あって自分のいじめ問題が解消されて。小4になって、私は塾に通い始めていた。理由は3つある。学校の勉強が(圧倒的に簡単すぎて)面白くなかったし、仲の良い友達が「おもしろい」と言って通いだしていたし、近所の市立の中学校は、ドラマもびっくり金八先生もびっくり仰天するくらい荒れていた学校だったので、私立の学校に受験すれば、そんなところに行かなくてすむ。という3つの理由だった。

幼いながら、私が塾に通い、私立の中学校に行く事は、両親に経済的な負担になるって事はわかっていた。けど、まぁ、いいかーとあっさり流してた(爆)。小6の時。私はなぜか急に塾の勉強が嫌になって、宿題とか全然せずにこっそり遊んでいた時期があった。それが両親にバレて、もう大変だった。4時間くらいにわたる説教の末、おまえなんかうちのこちゃうわ!出てけ!って言って追い出されたた時は、「あーこんな俺なんか、このまま外で野垂れ死んでもええわ」って本気で思ったりした。

私がもっとアホだったら、塾なんて行かず、私立なんて行かず、両親の経済負担はもっと軽かったのかもしれない。 とか、逆にもっと賢かったら、もっといい学校に行ってたのに…。 とか、「そもそも、俺は兄貴やし、一番しっかりせなあかんのに、こんなダメダメで、あかんやろ」とか。

そもそも、俺なんか、おらんかったらええやん。あぁ、死のう。うん、それがみんな幸せになる方法や。って、ものすごく本気で考えてた。(大学生になった今でも、半年に一回くらい本気でそう考えてる)


なんだかんだ。
中学生になって。高校生になって。二年生の時、私は世界中ありとあらゆる物に絶望してて、24時間ネトゲの世界に没頭してた。自他共に認めるネトゲ廃人である。ネトゲの世界なんて、キモオタ引きこもりニートばっかりで構成されてるんやろうなって、他の中の人の情報がわからないうちは思ってたから、ギルメンのリアルが、社会人ばっかりで、なんとリアルの世界において私が最年少だ。って知ったときはガチで阿鼻叫喚した。

みんな社会で働いているんやなー。子供を産んでるんやなー。家庭を持ってるんやなー。すげーなって、ものすごい尊敬した。と同時に、自分がダメすぎて絶叫してた。私がお姉ちゃんと敬愛して止まない台湾人のプレイヤーなんか、超優秀な医学部生だし、同じ学生身分の人が居る。と思ったら中身は京大理学部生やったり。

現実でも、冒頭に出てきたいとこが結婚式を上げてたりで、周りの人間がどんどん大人になっていくのを見て、私は、自分が子供であることへのコンプレックスを抱いてた。はやく、社会人にならねば。と強い焦りを覚え始めた。その背景に、両親の経済的な危機もあったし、俺だけではなく弟も大学に行く事を考えると、本気で早くどうにかしなきゃいけない。とものすごい焦り始めた。


無事、大学生になって。私は奇跡的に特待生として大学に入学した。最初は私立に通うコンプレックスがあったのだけど、ま、特待だしお金全然かかってへんし、ええわww と思ってた。

高校生の時。高3の最後の最後で、私は精神を完全に壊して、家中のものを破壊し尽くした。躁鬱が同時に爆発するという、端から見たら本当に悲惨な状況だった。母親が大事にしてた家具とか全部壊したし、家中未だにその爪あととして、壁じゅうに穴空いているし。

そんな事もあって、大学生になったし、これ以上両親にはなんとしても迷惑をかけるわけにいくまいって思ってた。

俺にしては珍しく、10年ぶりくらいに真面目に学校の授業出てたし(というか出席必須やったしw)
特待維持のためにそこそこ成績維持せなあかんし、「教職免許とったら食いっぱぐれないから、とってくれたら安心する」という両親の一声で、教職にも手を出してたし、でも経済的にできる限り負担かけたくないからめっちゃバイトせな。とも思ってたし、当時リーマン・ショック直後で世界的に経済はズタズタのボロボロやったから、普通の学生生活してたら人生詰むわ、金になることせなあかん、彼女つくらなおかんがいらん心配するからコミュ障ながら結構必死やったり。

まぁ、そんなむちゃくちゃな生活してて、案の定、精神も体もぶっ壊してノイローゼになってたんですが…。そんな状態で、気がつけば二年生終わって、三年生も半分終わってた。




それで私は何を成し遂げたいのだろう?

私の周囲に居る学生は、「世界をこんなふうに変えたいんだ」って意識の高い学生が多い。中には意識高い学生のふりしてる奴もたくさんいるけど、少なくとも、私の仲間にそんな人は殆ど居ない。

私の夢は、愛する人と結婚して、子供を産んでもらって、家族円満に過ごすこと。たったそれだけ。親不孝者の息子をここまで育ててくれた両親と、同じ以上の事を自分の次の世代に返さないといけない。と思うから。というのもあるけど。ただ、深い理由なくそれに憧れてる。というのもある。

でも、それって、自分さえ良ければいいっていう、自分勝手な夢なんだろうか。



私が大学にきた理由は、基礎からITを学び直したかったというのと、いっぱいリア充したかった。というのが正直な理由で、後者に関しては、本当にありがたいことに、ものすごい楽しませて頂いた(爆発しろ俺)

だけど、前者に関して。もうこれに関しては最悪で、研究室に配属された今ですら、「本当になにしにきたんだろう」って発狂する日々。

そもそも。
なんで私はITを突き詰めたかったんだろう。

はっきりいって、プログラミングなんか面白く無い。いや、昔は面白かった。けど、面白くなくなった。プログラム書いてて、強烈な虚無感に襲われるようになった。プログラムなんて書いても、電池が消えれば、時間が経てば、何も残らないじゃないか。と。



けれども、今、最も確実に経済的な力を得れるのはITだから、なんとか必死に食らいつこうとしている。というのが今の私の現状だろう。



そして、私は何に成るのだろう?



休学してまでして、私は何がしたいのだろう?私は、ほんと、何をやってるんだろう?
しっかりせなあかんのに、全然しっかりしてへん。親父もおかんも徐々に「老人」と呼ばれる領域の年齢に突入していくし。俺はこんな調子でええんやろうか? 何かあったら。いや、何かなくてももう、しっかりせなあかん年齢やのに。

ほんと、俺は、なにやってんねやろう。なにがしたいんやろう。

なんて自分は、まだまだ幼くて、子供っぽいのだろう。

素直に両親に頼ればええやないかってアドバイスを頂いたけど。本当に胸が苦しくなんねん。めっちゃ泣きたくなるしつらいねん。それ。



闇雲の中から答えにたどり着けないまま、私は21歳の誕生日を迎えてしまったのである。





p.s.

TwitterやメールやSkypefacebookで 誕生日祝福してくれた皆さん、ほんとうにありがとうございました!!! のっけからこんな鬱々しい??煩悩全開の日記で申し訳ないです(T_T)

悩み多き私ですが、これからも死に物狂いで精進していきます!