bussorenre Laboratory

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夢も希望もありはしない=夢と希望と明日の私

こんばんは。ぶっそれんれです。記事タイトルは夢喰いメリーからパクりましたw

今日は、ものすごい真面目な記事です。なので本当に反論があれば反論して欲しい。賛同の意見があれば、是非頂きたい。と思って書きました。



今日のテーマは格差です。



経済格差。所得格差。なにかと”格差”という言葉がマスゴミによって蔓延し始めはや数年が立ちました。最近は格差は是正されるどころか、むしろ増大し、マスゴミや民衆は、格差是正を諦めたのかのように見えます。

そもそも格差とはなんぞや。

wikipedia先生曰く、同類のものの間における、程度(水準・資格・等級・価格・格付け、レベル)などの差や違いである。とされています。(出典元:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%BC%E5%B7%AE

英語で言えば.gap 隔たり。という意味でしょうか。

最近の日本では、「極端な程度の差」という意味で使われていることが多い気がします。また、◯◯格差、という言葉を使うときは大抵、「とある人たちと、とある人たちの◯◯に極端な程度の差ふぁあることによって生じる問題」 と定義付けていると思います。




マスゴミ等を通じて日本で語られる格差は、大きく3つくらいかなーとおもいます。

どれもこれもニュースや新聞をチェックする人なら知らない単語では無いでしょう。一応3つそれぞれ軽く説明すると、

  • 経済格差とは、所得の差により、貧しい人は貧しい生活から抜けだせず、豊かな人はより豊かになっていくループ状の社会構造が問題とされています。
  • 一票の格差は、選挙において1人1票を平等に振り分けたにもかかわらず、地方においてその一票の重みが何十倍にもなるという問題を取り扱っています。
  • 世代間格差は、主に年金問題でよく使われますが、今の老人世代と若者世代の間で、受給額に数倍の差が現れることを言います。

で、格差って良いの?悪いの?

色々な考え方や諸学説を調べた結果、一行でまとめると、格差の程度によりそれぞれ一長一短があります。というのが結論です。なので、どちらの状態がいいか?というのはその時代を生きる人間のさじ加減、価値観次第。という事になります。



ちなみに、今の人類は100%格差許容の方に舵をとっていると思っています。

私の生まれるすぐ直前くらいまでは、格差是正の勢力と、格差許容の勢力が戦争をしていました。社会主義勢力と資本主義勢力です。ソビエト解体を気に、社会主義経済。すなわち格差を是正し、平等な社会を創るという理想は滅びました。



日本は、つい数年前まで資本主義において格差が生まれるのは仕方がない。が、なんとかしてある程度までは是正しようという流れをとっていました。その証拠に、ある程度の医療や教育は国が税金をとって保証していたのです。

私が憧れる北欧諸国に至っては、社会主義にならないギリギリのラインで、資本主義体制のもと格差是正制作を行なっています。が、北欧諸国も、昨今の世界的不況により、このシステムを維持できなくなりつつあります。



どうやら、少なくともこれから数年、もしかしたら数十年は、経済の格差は広がる運命にあるようです。



格差は経済だけではない。

今の世界を支えているのは「お金の仕組み」つまり経済なので、経済的な格差が最も問題視されますが、格差はお金だけの問題でしょうか。



さて、ここ数カ月の間、意識の高い人達の間で流行っているTEDの動画です。「幸福と成功の意外な関係」というテーマです。もしまだご覧になったことがない方は是非見てください。

さて、この動画の結論は「成功するから幸せになるのではなく、幸せだから成功する」という話です。「努力すれば報われる」と解かれてきた日本人にとっては少々理解しがたいものかもしれません。

この動画を見てあなたはどう思いましたか?「なるほど!」と思いましたか?そう思ったあなたは、きっと格差社会において比較的「上流」の位置に居る人でしょう。



なぜか。



幸せだから成功する。成功するから幸せになるのではない。と仰られています。でも、人間、成功したら幸せな気分になれますよね。

つまり。幸せは幸せを呼びやすい。不幸な人は幸せを呼びにくい。こういうことになります。



「よく考えたら確かにそうかも」って思う場面、生きてて結構多いんじゃないでしょうか?

そう、幸せの格差社会が誕生しているのです。

※ここでいう、幸せか、不幸か。というのは、その人の主観で決定されるものであり、客観的に決定されるものではないとします。


経済格差は幸せの格差に直結する

お金がなくても愛する人がいれば幸せである。というのは理想の話。お金がなければ幸せになれないどころか、人を愛する余裕なんてないんじゃないかなーとおもいます。

「衣食足りて礼節を知る」ということわざがありますが、明日食べる物が無くて生活が危ない人が、「これおすそわけだよー」って隣人にあげるかって言われたら、そんな事無いですよね。他人の物ででも奪ってでも生きるはずです。

でも、「人のものを奪ってでも自分が生きている状態」と「人に幸せを分け与えながら生きてい状態」あなたならどっちがいいですか?と言われたら、十中八九後者がいいってみんな言います。

この例は極端な例でしたが、お金は人間の幸せにダイレクトに響きます。

お金があっても忙しくて時間がなかったり精神的なゆとりが無くなると、人は精神的な「衣食」が足りなくなります。他人に優しくしてる余裕なんてなくなります。今の日本を見てください。仕事に追われ時間に追われ。些細な礼節すら行えない人が多いんじゃないでしょうか。


いたるところに存在する格差

最近、自殺やうつ病、孤独死が社会問題として取り上げられました。人とのつながり、共感。それさえも格差が存在します。

ちょっと考えたらわかりますよね。学校でも、すっごく友達が多い人と、昔から教室の端っこで1人で居ることが多い人。居ますよね

誰だって好きで1人になるわけじゃないです。「好きで1人になっている」
というのは、「そう感じるように自分を適応させないい行けない環境で生きてきた」という結果です。

社会生活でも、絡みづらい人。居ますよね。俗にいう「生理的に無理」とか「無いわー」って蔑まれる人たち。逆に、少しでも顔立ちがよかったり、体つきがいいとモテやすいですよね。人のつながりにも格差が存在する。。。。




愛情にだって格差は存在する。
よく女の子から「ちょっと優しくしただけで惚れるとかないわー…うざいわー…」というご意見多数頂きます。

「ちょっと優しくしただけで…」という人は、幼い頃から何らかの理由で、優しさに触れて来ることを許されなかったのでしょう。ほんの僅かな愛情でも欲しいんです。悪い言い方をすれば、愛情乞食。ほんのわずかな愛情を奪い合う。愛情を育むという事を知らない。知っていても、育む余裕が無い彼らは、その場しのぎで愛情を消費せざるを得ない。そしてまた徐々に愛情に飢えていく。誰かから愛情を与えられるのを待つ。乞食という言葉がぴったりではありませんか?



美貌だってそう。昨今は特に顕著だと感じます。可愛い子は何をやっても”美人◯◯”って名目で売れる。残念ながら容姿に恵まれなかった子は、きっとすごい苦労を感じているのかなと思う。つい数ヶ月前、ネットでこんな記事が大炎上してた。
「才女」目指す時代は終わった? 「大学院行くより整形の方が幸せ」に賛否両論




最初は格差じゃなかったのかもしれません、生まれつき持った環境の要因であるとか、才能の要因であるとか、そんな些細なことだたのかもしれません。

それが徐々に拡大し、なんでもかんでも”差”が顕著になっていった…。

結論


格差はどこにでも。もう天国と地獄のように存在する。


意識の高い学生は格差社会に賛成の人が結構多い。その人達は、根本的に格差の上流の位置に生まれていて、格差是正に成長の上限を設けられることを極端に嫌っている。ように私には見える。

逆に、テンプレ学生と蔑まれる人たちは、格差の下流に位置していることが多い。彼らは、どこか、生きることを諦めているように私には見える。二言目には「どうせ〜〜だから」というこ言葉が帰ってくることが多い。



私は、ほんっとうに中流の位置に生まれた(と思っている)ので、その両者のギャップをまじまじと見てきたし、その狭間にいる事で、価値観の相違に幾多と無く悩まされてきた。


夢と希望を明日の自分に見出す人たちのすぐ隣に、夢の希望もありはしない人たちが居る。その現実を。どう受け止めるか。



良いか悪いかはともかくとして、これが日本をはじめ、世界の、昔から今に至るまで変わらない人間社会の構造。



それを、多くの人は「何を当たり前の事を」と思うのかもしれない。



ただ私はこの現実に、問題意識。ではなく、寂しさに似た、深い悲しさ、虚しさを覚える。




この記事を最後まで読んで下さった方に感謝します。