bussorenre Laboratory

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自分の命の責任は?

こんばんは。今日がもう七月だったと今知ったぶっそれんれです。笑

先ほど、自分の命は誰の物?という記事を書きました。この記事はその続きです。

自分の命は自分だけの物ではない。これはまぁ、ほとんどの人が異論はないと思います。

では、一体自分が自分を保有する割合って何%くらいなの?

今日はそれに焦点を当てたいと思います。


ここでは、自分が自分を保有する割合を、自己保有率とでも呼びましょうか。


人生の時期によって変わる自己保有率

私はまだ20年しか生きていないので、それ以降のことはわからないのですが、人生のどの位置にいるかによって、自分の保有率は変わると思います。

たとえば、生まれたばかりの赤ん坊を考えてください。
彼らに自我はほとんどありません。また、彼らは親なしでは生まれることも生きることもできません。

生まれたばかりの赤ん坊は、自分で自分を生存させることはできません。当たり前ですよね。両親の保護が必須です。つまり、両親がその赤ん坊の命を握っているといってもいいでしょう。その場合、赤ん坊の自己保有率は0%に限りなく近く、両親がその赤ん坊の命をほとんど持っているといえます。

ここまでは、なんとなくわかっていただけるかなーと思います。ここで重要なのは、赤ん坊の命の責任は、親が100%持っているということです。 当たり前の話なんですけど、あえて赤字で書きました。


さて、子供は成長して徐々に自我が芽生え、まだまだ親の保護がいるといえど、さすがにご飯は食べられるし、トイレも一人で行けるようになります。そうして、徐々に自分の自己保有率が上がっていきます。ここで発生するのが、第一次反抗期です。

子供が、自分は自分だ、何もかもおまえらのもんじゃねーよ!って、子供なりに親に反抗するんですね。このとき親は、徐々に子供のことは子供自身に任せようと思うのですね。


さらに月日が流れ、小学生になります。このとき、社会。という第三の勢力が自分の中に現れ、その社会に自己保有率をいくらか奪われてしまいます。

家族、社会、自分、大きく分けてこの三つの勢力が、自分という物を保持している。という状態になります。子供は自分の行動の責任をほとんど負いません。なぜなら、自分は自分を持っておらず、ほとんど家族や社会が持っているからです。

で、中学生くらいになってさらに自我が芽生え、知識も増え、もっと自分で自分を持ちたい!と思うようになるのですね。だから、自己保有率を上げようと思ったら、家族と社会、その両方に強く反発しなければならないのです。これが俗に言う第二次反抗期ですね。

そこから色々学んで高校・大学・就職と進むにつれて、徐々に自己保有率は上がるとともに、自分の行動への責任が自分に返ってくるようになるのかなーと思います。

そこから老人とかの話は私にはわかりませんが、また変化するんだろうなと思います。


自己保有率の低い若者

3年で会社を辞める若者が増えている!とか、責任感のない新人が増えて困っている!っていう話が新聞コラムやネット記事でよく取り上げられていますが、根本的な原因は、若者自身が自分の行動に責任意識を持っていないんじゃないかなーって思います。

というのは、私自身も結構そうだからです。社会や家族に甘えきってます。笑

今の日本社会って、子供に過保護です。親に関しては十人十色あると思うので一概には言えませんが、子供にとっての社会である学校がとくに過保護だな。と思います。

というのも、学校は子供のことをなんでもやってくれます。高校の時は「いい大学にいきなさいよーそうすればなんとかなるよー」っていって、半強制的に進路を決めさせられます。進学校なんかは顕著ですね。なんせ進学実績を作らなければいけないのですから。最近はモンペとかのこともあって、学校が子供の責任を持ちすぎている。大学の就職支援課とかもひどいですね。あんなことをやっても、子供の自己保有率が下がって、就職した際、「お前の責任はこれだけあるんだぞ!」と急に自己保有率が上がるものですから、びっくりして息詰まるのです。


進路選択とかよりもっとひどいと思ったのが学園祭。「これは危ないからするな」「こんなのやっても無駄だからするな」「どうせお前らにはできないからするな」ばっかり先生は言うんですね。一番ひどいと思ったのが、「もし失敗したら誰が責任をとるんや」という発言ですね。一方では子供を過保護的に縛り付けて保有している癖に、一方ではその保有率に対する責任を放棄している。と見えませんか??

こんな先生(社会)を見て、子供がどう育っていくのか。後は実際の今の社会を見ればわかるでしょう・・・。

家族も社会も子供をもっと見はなせ。

私は、本来あるべき反抗期が来ませんでした。それは、わかっていたからです。反抗しても無駄だということを。私は、両親の経済力に恵まれて生まれましたし、愛情には恵まれすぎました。


どうせ反抗しても無駄だし。私の言ってることなんて、大人から見たら甘い考え。子供の考えなんでしょ。わかってるよ。だからそんなことに無駄なエネルギーは使わない。

子供時代にこの思考に陥った人。実は結構多いんじゃないかな?と思います。本当は自分は、こう考えてて、こんなことをやってみたいとかも思ってた。でも、それを表現することができなかった。その鬱憤が。反抗期に使うはずだった自己保有のためのエネルギーが上手く使われないまま、大学生にまでなっちゃった人。実はいっぱいいるんじゃないかな。と思います。

私は、そのため込まれたエネルギーの反動が躁鬱に似た激しい感情の起伏と、自殺願望だったのかなーと思います。人によって拒食・過食症になったり、ストレス性急性胃腸炎だったり、その出方は様々なんだと思います。


死にたいと喚き叫ぶ私は、家族や社会が持っている自己を奪い取ための、必死の抵抗だったのだなー…。



子供に自由にさせることと、子供を見放すことは一切別です。

「うちは子供に自由をさせて育ててきました」というのは、親のエゴです。それは、子供を巨大な牧場に閉じ込めて、その中で放し飼いをしているだけにすぎないのです。

「かわいい子には旅をさせよ」
これは親の視点から見た格言ですが。

「若者よ、旅に出ろ」
これは、私たち若者に向けられた、すごいありがたい言葉なのかも知れないと思いました。


あ、親への感謝は忘れてはいけませんし、忘れるつもりはないです。そのあたりは誤解ないようにちゃんと書いておきますww

まとめ

今からでも遅くない。自己保有率を高めよう。さすれば主体的に生きて楽しく幸せな人生を得れる

あーあと、未成年の自殺志願者に「お前の命はお前だけの物じゃない」っていう説得はまったくもって無駄です。むしろ逆効果です。確かに、表面上は「どうせおれの命や!生きるのも死ぬのも勝手や!」って言う方がいますが、そういう人ほど「お前の命はお前だけの物じゃない」という説得は逆効果です。

最近、滋賀県の大津で起きた中学生の自殺事件。あの子も、いじめを通じて、自分が本来持つべき自分を、学校でも両親でもない第4者に奪われてしまった。だから、そのせめてもの反逆として、死という道を選んだのかなー?と勝手に想像しました。違うかもしれません。それはごめんなさい、本当に勝手な推測です。

けれど、もしそうだったとしたら。その子を助けるにはどうすればいいか。それは、社会や家族が、その子の自己保有率を高めてやる事。つまり、学校や親が追う権利と責任と、子供自身に徐々に与えることじゃないかなー…。と思いました。

とにもかくにも、子供が自殺するのは本当に悲しいことですね…。