bussorenre Laboratory

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後は死ぬだけ生きるだけ

大変遅ればせながらのご報告になりますが、前職を退職しました。 退職してから物理的には2年近く経過しているはずですが、私にとっては、まるで昨日の出来事です。

関係者に多大なご迷惑をおかけしたこと、改めて謝罪させていただきます。

退職した理由はたった一つで、心身を壊したからです。 いい歳をして、何をやっているんでしょうか。体調管理は社会人の基本の基本と言いますが、それさえも出来ていないと報告するだけの記事を書くのは、さすがに躊躇われました。

完全に壊れる前に、何かできなかったのか?と、何度考え直しても、今考えなおしても、やはり同じ結論にしか至らず、その時に出来る手は、確かに全部打っていました。

だから、出来る手(つまりは私の能力)が足りなかったとしか思いません。 では、どういう出来る手があればよかったのか??と、今考えてもいいアイデアが思いつきません。

体力をつけて月300hくらい働いても平気な体を手に入れる…? 些細な事を気にせず物事を進める図太さを手に入れる…? 知人や友人を際限なく巻き込めばよかったか……?

確かに、体力や心構え、スタンス、チームメンバーの性格というのは組織運営に関わる大事なファクターですが、 それらを列挙するだけでは精神論にしかならず、具体的な解決策には至りません。

至らなかったから、私は壊れました。

人生、自分がやってきたことは、全部全部、ぜーーーーんぶ、失敗しました。 勿論、何もかもが失敗だったわけではありません。部分部分では上手くいっていることもたくさんありました。

でも、終わり良ければ全て良しと言うように、終わりがダメなら全てダメなのです。

もう、失敗がクセになっているのかもしれません。

付き合いの長い友人が私にこう言ってくれたのです。 「お前は、心が複雑骨折をしている。適切に処置したら治ったかもしれないが、そうじゃなかったから辛い思いをしている」

そう私の事を理解してくれている友人だからこそ、一緒にやろう!!と決めたのです。

それでダメだったんです。

生涯を共に添い遂げようと誓った妻に、こっぴどく裏切られ、 複雑骨折している古傷を友人にえぐられ、 私は一体、人間の何をどう信じればいいのでしょうか?

どんな家庭にもどんな企業にも、理想と現実があり、みんな、その狭間で揺れながらギリギリのところを耐え、上手くやっているのです。 上手くやっているから生存しているのであり、生存者はそれだけで成功者なのです。

私は上手くやれなかったから心身を壊しているのであり、失敗者なのです。

だから「人生、後は死ぬだけ」そう思って、死ぬ準備を始めました。 と言っても、自殺を始めるわけではありません。そんな事しなくても、放っておいたら人は勝手に年老いて死にます。

「結婚せず子供を持たないと、人生のライフステージの変化は、『就職』の次はもう『死』しかない」 という言葉をTwitter(私が寝ている間にTwitterはXになりましたが、一生Twitterと呼び続けます)で見かけて、「確かに」と思ったのです。

だから、死ぬ前に、とりあえず、今までやってなかった、やりたかった事をしようと思いました。

まずはゲーム。とにかくスプラ3を鬼のようにやろうとしました。しかしこれがあまり面白くない。3日でX2400くらいまで到達して、飽きてしまいました。 次に、ELDEN RING これはめちゃくちゃ楽しかった。楽しすぎて200時間くらいを一か月足らずでやりこんだでしょうか。全ての要素を攻略しつくしました。

次に、株式投資。これは、前々から興味があり、もし自分たちのやってる会社が上場したら、その株は、誰がどこで、どういうフローで売買するようになるんだろう?と思っていたのです。 それまでは、株式投資なんて怖くて出来なかったのですが、「まぁ、どうせ金なんて持ってても使わんしええわ」くらいの気持ちで適当な株を売ったり買ったりしました。 これはかなり勉強になりました。金銭的には1年回してプラマイほぼ0なんですが、金融制度や経済・世の中の仕組みを少し知り、そして「こんなに無知な自分が、会社上場とか語るのは笑止千万だな」とも思いました。

次に、個人Vtuberをやりました。これはもう全然ダメでした。2018年ならいざ知らず、今もう2024年ですよ。そう簡単に伸びるわけがない笑 少なくとも、生活できるほどの収入にはなるわけもない。 そんな事は自明of自明だったのですが、分かってても、やりたかったんだし、やってみてダメだったから、いいじゃん!

次に、液タブを買ってイラストを描き始めました。Stable Diffusion があるのに今から0からお絵描きするの???正気か???って自分でも思いましたが、今やらないと10年後は完全にAIイラストになり、人が絵を描く機会は完全に失われる。と思って始めました。なかなか難しい。アホみたいに時間がかかる。けど、目標としてたイラストが描けたときは「これ本当に自分の右手から生成されたん?」と感動しました。

なんて、一切、全てを誰とも関わることなく、1人で引きこもっていたら、気が付けば1年以上は経過してました。 とにかく、あらゆる人間という物に関わりたくなかったのです。

これら全部「後は死ぬだけ」だと思って始めたことなのに、なんかすっごい楽しそうに生きているように見えます。おかしいですね。

本人の心境としては「もう俺は後は死ぬだけなんだ……」って絶望の底に浸っているのに。

8月に入って、暖かくなってきた頃でしょうか。

あまりにも髪が伸びすぎたので、さすがに切ってもらうか。と思い、行きつけ(一年ぶり)の美容室のお兄さんに会いに行きました。 「いや、今日のbussorenreさん、以前よりも目がイキイキしていて安心しましたよー!」と言われました。

「私、そんなに、死んだ魚の目をしていましたか…?」と聞きかえすと

「元から体が細いのに、更にゲッソリしているように見えて、まったく大丈夫そうには見えなかったですね」とバッサリ。

そこからたった1時間の間に、とてもとても話が弾みました。

ふと帰り道に、「あれ、人間と会話出来た…?」と、当たり前すぎる事に気が付き、 どうやら自分は、人と話して大丈夫なくらいには回復したらしい。という事に気が付きました。

自分はまだ生きてる。 まだ、人間として、人間と生きていきたいらしい。と思いました。

まだ生きているという事は、まだ生存者であり、まだ成功者なんですよね。

後は死ぬ(まで、生きる)だけ。

1年間も時間があったにも関わらず、やらなかったことは、本心からやりたかった事じゃなかった。

「こうでなければならない」とか「こうしなければならない」みたいな、強迫観念に、囚われまくっていたんじゃないか? 「あーそれ良いね、やりたいね」って言ってたことは、本心から思っていたことではなく、「べき論」で語っていただけであって、 それを全部取っ払って、フラットな状態になってちゃんと考えただろうか?

と、思い直した今だからこそ、2年前に時間を巻き戻して考えると、当時の問いへの答えが見えてきます。

心身を壊すまで何かを気に病んだり、働いたりする必要はなかった。

だから、解が見つからないのではなく、設問がおかしかった。 設問がおかしいときは、しっかりと解が出るような問いに設問を修正する必要があるんですね。

解が出ないような問いにしかならない問題は、考えない。そもそも関知しないし関与もしない。 解決しない、解決しようとしない事も立派な解決だったんじゃないかなと今だと思うんですよね。

それは逃げなんじゃないかとか、卑怯なんじゃないかとか思う事もあるのですが、 擦り切れて、潰れてしまうよりはよっぽどいい。

処理できない例外はより上位の存在にthrowするしかないのです。 とりあえず、エラーログだけ吐いておいて、1年後に発掘されて解決される、とか、コメントに「//TODO」とだけ書いて10年放置、なんて事もよくありますしね……。

もっと汚く、みじめに、卑怯に、わがままに生きてもいい。 どうせ最後は死ぬだけなのだし。

という事で(どういう事で?)また私、働いています。

多分、前よりかは上手くやれます。

幸い、今お世話になっている企業には甘えまくっており、私は目の前の自分の務めを果たすことに集中できています。 「あれもしなきゃいけない、これもしなきゃいけない」という状態に変わりは無いのですが、少なくとも、自分一人で全部なんとかしなきゃいけないわけではなく、 チームに相談する事が出来るので、精神的に物凄く助かっています。

とりあえず近況報告でした。

ようやく80%くらいまで回復したので、また死ぬまで生きていこうと思います。